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それがトータルとしてSブランドを形成してきたのである。
しかしSビルの建設は、あまりにもタイミングがきわどすぎる。
先に見たようにクロマトロンの製造が行き詰まり巨額の赤字を生んでいたときである。
しかも、シャドーマスク方式を採用せず、ものになるか分からないトリニトロンの開発を決定した以上、どれほどの投資額を覚悟すればいいのか見当もつかないときである。
Sビルの建設費用は、土地代を含めて数億円かかっている。
実に当時のSの資本金と同額であった。
本業のモノづくりが窮地に陥っているときに、SはもうひとつSを作れる資金を、宣伝物に投じたのである。
常識はずれのことであったろう。
このプロジェクトに関しては、M氏の執念が感じられる。
東京通信工業だった社名をSに変え、そのブランドを世界的なものにすることがM氏の悲願であった。
このパートナー経営者の宣伝の才能がなければ、世界屈指のブランドは育たなかったはずである。
銀座、数寄屋橋は、ブランド戦略の起点になった場所である。
1957年、この地にネオン管に代わる豆球でSのブランドを訴求しSビルなどの建設についてはIは一切口を出さなかった。
もちろんビルが完成すれば見にくる。
ビルそのものには興味がある。
しかし、ビジネスには興味がない。
広告塔が設置された。
2年後には、この広告塔のあるビルの1階を借りて10坪足らずのショウルームを開設したこともあった。
M氏の非凡さは、発想のスケールにある。
どうせならこの地を買ってしまい、「Sの広場」として世の中の目を集中させたいと考えた。
非凡なのは、その着想力だけではない。
着想したら後退することを考えないで行動に移ることである。
1961年には、土地の買収を行うための不動産管理会社(今日の「S企業」)が設立された。
Sビルのアイデアは、Sが急成長していた時代の産物だった。
しかし土地の買収が進み実際にビルを建てる段階では、Sの成長は不透明なものになっていた。
本業再建の見通しがつくまで延期するか、部分的に着工していくのが常識であったろう。
しかし、M氏は決行する。
I氏がクロマトロンに苦労し、トリニトロンの構想を練っていた時期である。
当然、これほどの投資案件は、社長であったI氏の決裁であったに違いない。
しかし、それは形式的なもの、さらに言うなら「盲目判」ではなかったか。
このようなI氏とM氏の関係は、信頼関係と評され、S発展の基礎とされている。
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